1月1日、原稿が売れず、無一文に近い状態で正月を迎える。長谷川伸邸、佐藤春夫邸、壇一雄邸に新年の挨拶に行く。
28日、檀一雄、吉行淳之介、有馬頼義、三浦朱門、五味康祐の各氏を自宅の食事に招待する。
・「濁水渓」が直木賞の選からもれる。
3月 「文学界」誌に壇一雄氏の推薦と「文学界」編集長、尾関栄氏の厚意により「故園」を発表する。
8月 「文学界」誌に小説「検察官」を発表する。
「香港」第一回分を「大衆文芸」に連載(11月号まで)する。
11月22日 薄井恭一夫妻の案内で小島政二郎夫妻を、姉夫婦の案内で母沢寛夫妻および白井喬二を自宅での食事に招待する。
(参考)
邱永漢著 『わが青春の台湾わが青春の香港』、同著『邱飯店のメニュー』。同著『香港発・娘への手紙』
(社会の動き)
7月20日 日本政府、長期経済計画立案のため経済審議庁を経済企画庁に改め発足。