邱永漢詳細年譜

作家、事業家。邱永漢氏の詳細な年譜。


4月 台北高等学校尋常科2年生になる。文学書を読みはじめ、 文学にかぶれるようになる。

 
(参考)
邱永漢著 『わが青春の台湾 わが青春の香港』 
 

(社会の動き)
7月 盧溝橋事件が起こる(日華事変)
9月 満州事変が起こる。

12月、矢内原忠雄東京帝国大学教授が追放される形で東大教授辞任を余儀なくされる。 

・この年、台湾の戸口と日本の戸籍を結ぶ法律が帝国議会を通過する。


・蔵本先 生と母親に付き添われ、初めて台北市に行き、台北高等学校尋常科の入学試験受験。合格。数え年13歳、受験番号13番で、以降、13がラッキー番号になる。

3月 台南市立南門小学校を卒業する。

4月 台北高等学校尋常科(中学部)に入学する。

(参考)
邱永漢著『わが青春の台湾 わが青春の香港』
王育徳著『「昭和」を生きた台湾青年ー 日本に亡命した台湾独立運動者の回想1924-1949  』

(社会の動き)

(本土)

2月 226事件が起こる。

(中国)

12月 国内統一を急務とする蒋介石が張学良による共産軍(中国紅軍)討伐を督励するために、西安をおもむいた時、共産党と手を組んだ張学良に逮捕監禁され、国共合作を迫られ、それを認める(西安事件)。これを契機に、蒋介石は内戦を停止して、抗日民族統一戦線を張ることに踏み切る(第二次国共合作)。〇二・二六事件    
 


4月、六年生になる。蔵原先生が、組担当になる。
・進級とともに、4クラス合同の模擬試験が行われる。男子2クラス、女子2クラス、あわせて220名の 試験で、自分一人、国語(日本語)、算数両方とも満点をとる。
蔵原先生から職員室に呼ばれ、母親が来るように言われる。
・ 駆けつけた母親に対し、先生が「邱君は成績抜群だから、台北高等学校の尋常科を受験してみないか」と勧める。
・父親は反対であったが、母親が賛成し、翌日から特訓が始まる。上級学校への受験を希望するものは、
正規の授業終了後、6時から7時まで特訓を受けるが、それからさらに先生の家に行き、夜の11時くらいまで、特訓を受ける。

(参考)
邱永漢著 『オトナの憂鬱』(
6年生のときの先生」)。同著『わが青春の台湾 わが青春の香港』。

↑このページのトップヘ