1月3日、日本経済新聞の経済予測で大部分の人がドルショックの影響を深刻に受け止め「4%ぐらい」と予測する中、たいしたことはないと判断し、「成長率は10%ぐらい」という予測する。
  10日『
邱永漢自薦集第7巻「私の株式投資必勝法」』(「もうかりまっか」・「私の株式投資必勝法」)を徳間書店から刊行する。
  ・
求美 社が『求美 NO10 物故作家(日本画)の価値の変遷』を刊行する。
2月10日邱永漢自薦集第5巻『奥様はお料理がお好き』(「食前食後」・「奥様はお料理がお好き」)を徳間書店から刊行する。
  11日台湾国民党副秘書長の林金生氏が来日し2回目の帰台要請を受ける。
  ・嶋中鵬二、安岡章太郎両氏を交え林金生氏と自宅で会食。
  ・台湾から3度目の使者が来日し、「台湾で精神安定剤の役割を果たしてほしい」と頼まれる。
  15日、日本証券新聞社から『株の発想』を刊行する。
3月10日 『邱永漢自薦集第5巻「東洋の思想家たち」(「東洋の思想家たち」・「新説二宮尊徳」)を徳間書店から刊行する。
4月2日 24年ぶりに故国・台湾の土をふむ。100名に及ぶ新聞記者、テレビ記者に囲まれ会見。以後一週間台湾に滞在。。
・故宮 博物館を見学する
・台北高校および東大同窓会の共催による歓迎会に招かれる。
・学生時代の親友、許武勇に招かれる。
・約一週間台湾各地を視察してまわったあと、台北の松山飛行場に新聞記者を集めて台湾についての感想を述べ、日本へ帰ったら、さっそく、台湾経済考察団を組織することを約束する。
4月10日 『
邱永漢自薦集第6巻「金銭読本」』(「金銭読本」・「借金学入門」収録)を徳間書店から刊行。
 ・
求美社が『求美NO 11 ブームのなかの現代日本の版画』を刊行する。
5月10日『邱永漢自薦集第1巻濁水渓」』(「濁水渓」・「密入国者の手記」収録)を徳間書店から刊行する。
23日 昭和45年から2年間にあちこちの雑誌に執筆した作品を集め
「世の中どう変わる」題して日本経済新聞社から刊行する。
6月、台湾へ行く(第2回。小谷正一氏参加)。
 10日
「邱永漢自薦集第5巻食は広州に在り(「食は広州に在り」・「象牙の箸」を収録)を徳間書店から刊行する
 7月 求美社が『求美NO 12・特集海外の現代版画』を刊行する。
7月13日、邱永漢自薦集第3巻オトコをやめる話』(「惜別亭」・「風流漢奸」、「恋の広場」、「田沼学校」、「オトコをやめる話」を収録)を徳間書店から刊行する。
8月 台湾へ行く(第3回。野末陳平氏参加)
9月 台湾へ行く(第4回)。
10月 台湾へ行く(第5回)。
   5日
 金とヒマの研究』を徳間書店から刊行する。
10月 
求美社が『求美NO 13・特集・秋の公募展・見方とその作品価値』を刊行する。
11月 中央公論」誌に「新しい日台間に外交関係はいらない」を発表する(中央公論への掲載はぶり)。
・台湾へ行く(第6回)。
30日 徳間書店から金儲け未来学を刊行する。
・この年、
「マネジメントガイド」で「ビジネス論語」の連載を始める。
「経営者会報」誌に「経営者の交際術」の連載を始める(昭和48年まで)。
45歳になった夫人の要望で台湾からコックを雇う。
香港に持っていた家を売却する。
・この年以降、日本、台湾以外のところへ年2回以上夫婦で旅行すること約束する。
・この年以降、毎年短波放送で、翌年の景気、株式市場の予想を行う。
 
 
(参考)
 邱永漢著『金儲け未来学』。同著『香港の挑戦』。同著『失敗の中にノウハウあり』p72。同著『株が本命』p101)

  (社会の動き)
2月 (米国) ニクソン大統領訪中。上海で米中共同コミュニケ発表。
6月1日 (台湾)蒋経国、行政院長(首相)に就任。
7月 (日本)田中角栄内閣発足。
9月 (中国)田中首相訪中。日中国交正常化の共同声明発表。
   (台湾)対日国交断絶
12月 (日本)台湾に交流協会を開設
   (台湾)日本に亜東関係協会を開設