2月 11泊12日で北京からデリー、バンガロール、ボンベイをまわり、上海で勉強会を開く旅をする(投資考察団(第38回))

 11日 インドへの視察旅行のため北京に泊まる。

 12日 デリーにとび、午前3時に到着。日中はインド経済事情の研究、夕方の便でチェンナイ(マドロス)に飛ぶ。
 13日 
チェンナイで泊まる
 14日 インドソフト産業の中心地バンガロールにとんで2泊し、ここで、インドが中国に続いて経済成長する可能性の勉強する。

 16日 バンガロールからムンバイ(ボンベイ)に飛ぶ。
 17日 ジャイプルで泊まる。
 18日 タージ・マハルのあるアーグラーで泊まる。
 19日 デリーに戻る。
 20日 早朝、デリーを発ち上海に戻り、上海で中国株の講習会とインドと中国を比較した講演を行う。

 
28日 済堂出版から「もしもしQさんQさんよ」連載コラム集19冊目の『いよいよ中国株の時代だ 』を刊行する。 

330日 青山学院の裏にあるフランス料理レストラン「マノワール・ディノ」で82歳の誕生会を開く。

4月11 4月20日まで9泊10で、北京、珠海(チュウハイ)、マカオ、香港、上海を一周する旅を始める中国投資考察団(第39回
 18日、北京、珠海、マカオ、香港とまわり上海に戻る

    珠海で、天仙液の発明者、王振国先生の病院を兼ねた研究所を見学する。
 19日 上海の永華大楼で邱友会と合流し、香港に上場している360新焦点(自動車部品の製造と自動車修理のチェーンを展開)を見学する。
4月29日 5月7日まで9日間、「北京勉強会」を開く。 
5月1日  
「北京勉強会」参加者の夕食会に出席する。
   4日     北京邱友会を開く。

5月31日 PHP研究所から『起業の着眼点』邱永漢お金儲けシリーズ第2版) 刊行する。

67日 15日まで8泊9日で、三国志の遺跡巡りのため北京から襄樊(ジョウハン)、少林寺、亳州(ボーチュウ)、徐州(ジョシュウ)、成都、上海に向かう(中国投資考察団(40回)。

 14日 上海邱友会と合流し、上海振華港口機械(港の荷揚げ荷卸しの機械をつくる大企業)を見学する。
7月 7日 
廣済堂出版から「もしもしQさんQさんよ」連載コラム集20冊目の『お金持ち日本喧嘩せず』を刊行する。
8月3日  5日まで長白山脈の通化市にある王振国博士の薬草園に滞在する。

8月9日 18まで9泊10日で、北京経由でモスクワとサンクトペテルブルクを一巡し、上海に戻る。(投資考察団(第41)。
    18日 考察団の人々と上海邱友会の人々
80人余で観光バス2台で、上海から高速道路で常州まで向う。朝、出発したが、道案内役の車の運転手が道を間違え、12時近くに常茂生化の本社工場に到着する。

 25日 グラフ社からエッセンス本『楽観主義のすすめ』を刊行する。 

9月4日  銀川市見習生受け入れのため、4泊5日で一旦、北京に集まり銀川市に向かう(人材考察団

  6日まで銀川市に入る。
 ・銀川で寧夏回教自治区の省長、馬啓智主席が宴席を設けてくれ、新聞も日本から人材考察団が来たことを報道してくれる。
 「日本で不足する人材の供給をすることについて自治区をあげて協力しましょう」という話になり、自動車修理学校から料理学校、看護学校、コンピューター学校、農業学校に至るまで、日本で言う「金の卵を生む」若者たちを養成する学校を、こちらが疲れ果てるまで案内してくれる。
 ・寧夏自治区の農家の師弟500人分の奨学金を寄付する

10月9日  17日まで、8泊9日で北京、景徳鎮(陶器の都)、廬山、南昌、温州(中国のミラノ)、上海の順で回る(中国投資考察団( 42))。

 16日 邱友会と合同で中国株研究会を開く。

1121日 北京から昆明、保山、大理、シーサンバンナ、上海に向かう中国投資考察団( 第 43回)

  保山ではコーヒー製造工場見学し、雲南省では少数民族の村落を訪問する。

  28日 上海で中国株研究会を開催。ゲストとして大賀戸外伝媒の董事長賀超兵氏を招く。
12月 持株のすべてを中国の成長株にしたことを公表する。

(参考)
邱永漢著『中国にこれだけのビジネスチャンス』。同著『中国株で一山当てたい人集まれ』。同著『中国株は成長株の時代に』。同著『お金持ち喧嘩せず』。

(社会の動き) 
3月21日 鳥インフルエンザによる死者が世界で100人を超える。
9月19日 タイで軍事クーデター勃発、タクシン政権崩壊。 

【お願い】この年表を論文などで用いる時は戸田敦也」作成のものであることを明記してください。

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